鎧武者は和歌祭創始当初から渡御行列に加わっている。江戸時代では「鎧武者」や「鎧着」と呼ばれ、練り物行列の最後尾に位置していた。そのため、「後の渡り物」の先導役とされている。鎧武者は甲冑の背中に「幟」と呼ばれる旗差物(はたさしもの)を差した姿で登場する。現在は和歌山商工会議所の青年部が赤揃えの甲冑に紫地に白の葵紋の旗差物に統一した武者姿で渡御行列に参加している。
江戸時代の日光東照宮や御三家の名古屋東照宮の祭礼でも同様の幟差しが150人出ていたことが記されている。そのため東照宮祭礼では定番の武者風流であったと考えられる。