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紀州東照宮 | 和歌祭公式サイト

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紀州東照宮

「和歌の浦には名所がござる、一に権現」とうたわれたのが、この東照宮です。古来、和歌浦随一の名所として、今も「権現さま」と仰がれ親しまれています。もともとは東照大権現、日吉山王権現、摩陀羅神の三座を奉祀し、東照大権現とは薬師瑠璃光如来が日本の神として顕現していたという神号であって、病気を平癒し、諸願一切を成就するという信仰がありました。徳川家康公は、薬師瑠璃光如来の生まれ代わりであるという伝承により、正保2年(1645)、宮号の宣下によって東照大権現は東照宮と改められました。

紀州東照宮は元和7年(1621)、南海道の総鎮護として紀州藩祖徳川頼宣公によって創建されました。約400年も昔のことです。この時、藩主は親しく指揮をとり、石組などは士分以上のものに運ばせました。これは源頼朝の鶴岡八幡宮造営の古例にならったものです。この社殿の結構は「権現造り」または「石の間造り」といって、桃山時代の遺風をうけた江戸初期の代表的な重要文化財建造物です。漆塗り、極彩色の精巧な彫刻、狩野、土佐両派の絵によって荘厳された豪華さは、まさに関西日光の名に恥じません。左甚五郎の彫刻の多いのも稀有ですが、楼門の朱塗り極彩色は、関西唯一といわれます。武具類、陶器、絵画などの宝物の他、重要文化財の刀剣、衣料など17点の秘蔵も有名です。

天下の名勝、和歌浦の浦波に映える松の緑に覆われた山と丹青の妙を尽くした社殿の調和と破格は、人々に歴史的回想を促し、伝統への郷愁と魂のふるさとを抱かせます。
祭典としては、和歌祭といわれる神輿渡御祭が有名です。東照宮創建以来、伝承されているこの祭りは、和歌山の伝統芸能の集約化されたものが行列に参加しているので、民俗的にも貴重な祭典です。毎年5月に行われ、和歌山市全域を祭り一色に染めます。


宮司より

和歌祭とは

紀州東照宮の五月の例大祭での渡御行列を親しんで、和歌祭と呼ばれるようになりました。紀州藩祖で徳川家康公の十男に当たる徳川頼宣公は、和歌山の都市の発展の政策を進めると共に、御尊父の神君 徳川家康公の御霊を、風光明媚な聖地和歌の浦を鎮座地と決めてお祀りされました。それが紀州東照宮の始まりです。元和七年(1621)に江戸から派遣された高僧、天海大僧正が導師となり東照宮の創祀儀式がとりおこなわれ、全国で最も古い歴史を有する東照宮の1つと知られています。

東照宮が完成した翌年(1622)から御尊父の徳川家康公の御霊をお慰めしようと和歌祭が始まりました。お祭りを行うにあたり徳川頼宣公は、藩士だけが参加するのではなく民衆も参加してほしい願いをもち、それを実現させたことから和歌浦だけでなく和歌山城下をあげた盛大な祭りとなりました。民衆が参加する東照宮祭礼で現在に続いているのは唯一和歌山だけです。特筆すべきはその民衆の祭りへの参加の仕方です。それぞれの特技を生かした技や踊りを披露しながら練り歩きます。その技芸は、「株」と呼ばれる種目ごとに子々孫々、世代から世代に口伝によって受け継がれ、今日も江戸時代のお祭りの姿を残していることにあります。明治維新後も戦争による中断などさまざまな困難を乗り越え民衆の祭りとして今日に受け継がれてきました。

技芸の伝承、祭具の保存補修など祭の護持伝承に尽力していただいている保存会・実行員会の皆様、地域の皆様、ご協力いただいている関係者の皆様には深く感謝いたしております。ぜひ多くの方に江戸時代より始まる和歌祭をご覧いただき、ふるさと和歌山に誇れるお祭であると感じていただければ幸いです。


紀州東照宮

和歌山市和歌浦西2丁目1-20
TEL.073-444-0808
P有

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