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37-1.忠棒 | 和歌祭公式サイト

37-1.忠棒

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雑賀踊は傘鉾(江戸時代には笹羅踊の後方)を先頭に甲冑(かっちゅう)を着し、スリザサラを刀と鞘に見立てて雑賀衆を表した笹羅踊、そして鬼の面を被り、棒を振る忠棒と請棒、そして華やかな衣装を着た入れ子が叩く大太鼓や鉦、そして法螺貝がつく。

雑賀踊は室町時代後期から畿内を中心に流行していた傘鉾の周囲でスリザサラを擦って踊る風流踊に紀伊国独自の伝承が付加され、渡御行列にアレンジしたものだと考えられる。雑賀踊にはさまざまな伝承がある。ひとつは笹羅踊のスリザサラを刀に見立てて、天正5年(1577)に鈴木孫一率いる雑賀衆が織田信長軍を撃退し、戦勝祝の踊りとするものである。そして、もうひとつは天正10年(1582)に鷺森(さぎのもり)別院に立てこもっていた門徒と雑賀衆が本能寺の変の知らせで信長軍が退却したことを祝った際に踊ったとする2つの伝承である。
和歌祭が創始された元和8年(1622)に雑賀踊が渡御行列に出された記録はないが、寛永12年(1635)に徳川家光が雑賀踊を上覧していることや寛文5年(1665)の和歌祭縮小令が出された際にも残されたことから早い段階から雑賀踊が和歌祭の渡御行列に加わり、伝承をもとに紀伊国を代表する踊りとなっていたことが考えられる。
現在、雑賀踊は和歌浦サッカークラブの少年たちが笹羅踊を踊り、また忠棒や請棒などは保存会青年部によって踊られている。とくに忠棒と請棒は、演じ手が自ら面を打ち、毎月1回の練習を行なっている。

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