和歌浦の古写真OLD PHOTO
和歌の浦
和歌の浦は、神亀元年(724)、聖武天皇の行幸に従った山部赤人が和歌の浦を讃え、次の和歌を詠んでいます。
「若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺を指して 鶴鳴き渡る」山部赤人(万葉集巻6 九一九)
以降、和歌の浦は歌人の憧れの地となり、玉津島には和歌の神が祀られるようになりました。
また、江戸時代には紀州徳川家初代の徳川頼宣が東照社を創建し、観海閣の創建など、中国の瀟湘八景に見立てた庭園を和歌の浦に創り出します。この情景は和歌浦図として屏風絵や絵巻物などに多数描かれ、『和歌浦十景』とされました。東照社では和歌祭が元和8年から創始され、和歌祭の御旅所への御成道として第10代藩主・徳川治宝によって嘉永4年(1851)に不老橋が建造されました。
和歌の浦は平成22年(2010)に国の名勝に指定され、平成29年(2017)には「絶景の宝庫 和歌の浦」として日本遺産に認定されています。